論文投稿時に自分の論文や倫理承認番号のブラインドを求められた時の対応
最近、論文を投稿した際に、editorial officeから「あなたの論文 (reference XX)と倫理承認番号をブラインドしてください」と連絡がありました。
方法がわからなかったので問い合わせたところ、該当部分を黒塗りにするか、削除して「* "blinded for review"」と記載するように教えていただきました。
すべての雑誌でこのような対応なのかはわかりませんが、次回以降はこのように対応しようと思います。
Double-blind reviewの雑誌は徹底されているなと感じました。
正直なところ、研究手法に重要な自己引用なので、査読者の方に伝わるか心配です。。
論文執筆でレビュアーと英文校正のコメントが相反した場合にはエディターの判断を仰ぐ
英語表現について、レビュアーからの指摘が英文校正で誤りだと指摘されたことはありますか?
先日アクセプトされた国際誌の査読返答の中で少し混乱したことがあるのでシェアします。
以下の様な文章を書きました。
例)「This study showed that muscle weakness persisted for 2 years after surgery 」
査読で、2をtwoに修正するようにコメントがありました。
基本的には査読コメントを反映させることが重要ですので、その通りに修正すると、英文校正では以下のような提案がありました
例)「10以下の数値はスペルアウトしますが、以下の例ではアラビア数字で表記します:単位のある測定値(8kg);時間の単位(4 days, 2 hours);年齢(5 years old);その他の数字を含むリスト(9 dogs, 4 rats)。一般的に、測定単位(年など)に言及する場合にはアラビア数字を使った方が良いでしょう。」
つまり、2のままで良いということです。
その他にも、冠詞の"the"をやたらと消す指示があったのですが、校正では英語表現として必要だというコメントがありました。
(個人的にはtheが必要なところをなぜ消すよう指示があったのかわかりませんでした。微妙なニュアンスは日本人には難しいです・・)
「英語的に正しいようですので修正しません」という返答では、当然レビュアーの印象が悪くなります。
かと言って誤った英語が公表されればこちらにも不利益です。
そこで、その旨をエディターに相談することにしました。
例)「レビュアーからこのようなコメントいただきました。しかし、英文校正のスペシャリストからは、英語表現のルールとして修正すべきではないという提案がありました。私たちはエディターの判断を仰ぎたいと思います。修正の必要があれば、いつでも修正することができます。」
すると、そこの修正は結局不要とのことでアクセプトにいたりました。
今回は比較的単純な(?)内容でしたので、このやり取りができたと思いますが、研究の手法や解釈など複雑な部分ではどうなるかわかりません。
1つの参考程度になれば幸いです。
また、判断を仰ぐと言っても丸投げのスタンスは良くないです。修正に応じにくい理由を書いた上で、検討してほしいということを伝えるべきです。
英語での数字の表記については他にもルールがありますので、他のページを参考にすると、とても理解が深まります。
執筆スキルアップのコツ~文末の動詞の名詞化を防ぐ~
“読み手にとって分かりやすい文章を書く”
このような指導を受ける方は多いのではないでしょうか?
特に、専門用語や学術用語が多い学術文書では難しい文章になりがちではないでしょうか?
今回は執筆のトレーニングを受けていない方の文章に見られがちな動詞の名詞化(nominalization)について解説します。
動詞の名詞化とは、動詞で表現できるものを名詞で表現することです。
これではピンとこないかもしれません。
よくみられる例文を挙げます
・~の評価を実施する。
・~の検査を行った。
・~筋の収縮が入る。
・~の手術を遂行した。
これらの例は、1つの動詞で簡潔に表現することができます。
・~を評価する。
・~を検査した。
・~筋が収縮する。
・~を手術した。
これらの例文くらい短ければ、あまり違和感はありません。
しかし、ボリュームのある文章の中でこれらの表現が頻発されると、読み手はとても疲労を感じます。
1つの動詞で完結できる表現は、可能な限り名詞化せずに書いた方がよいですね。
これは英語表現でも全く同じです。英語論文の場合は【トム・ラングの医学論文「執筆・出版・発表」実践ガイド(株シナジー)】を読むと、名詞化について詳しく書かれています。
たったこれだけのことかもしれませんが、意外にも読み手のストレスは相当軽減されます。不要な動詞の名詞化はなるべく避けることをオススメします。
*分かりやすさの定義は、その文章が掲載される場面(学術文書、一般向けの書籍、ブログ etc.)によって全く異なりますので、ここでは割愛します。
姉妹誌への投稿を勧められた時の判断基準
論文アクセプト~少し焦ったレビュープロセスの経験~
物理的時間と質的時間
2021年を迎えました。
今年は自分にとっても、皆さまにとっても穏やかな1年になってほしいです。
毎年言っている気がしますが、“今年1年は本当に早かったです。”
1年の時間は同じなのに、です。
時間の捉え方は大きく2種類あります。
それは物理的時間(ニュートン時間)と心理的時間(ベルクソン時間)です。
以下は、僕の大好きな鎌田浩毅先生の著書「成功術 時間の戦略」からの引用です。
“時計で計ることができるような客観的な時の流れは、近代物理学の始祖であるアイザック・ニュートンの名にちなんで、物理的時間(ニュートン時間)と呼ばれる。これに対して、人間の生きる密度によって感じかたの異なるような時の流れは心理的時間(ベルクソン時間)という。生の哲学を説いたフランスの哲学者アンリ・ベルクソンの名をとっている。”
このようなことは、普段の生活や仕事でも感じることがあります。
例えば同じ1時間であっても、自分にとって楽しい時間や集中している時間はあっという間に感じ、逆の場合には長く感じます(永遠に終わりが来ないのではないかと・・)
せっかく同じ1時間を過ごすなら、自分にとって密度の濃い時間を過ごしたいですね。
そうなるように、色々なことにチャレンジしたり、興味を持って能動的に取り組みたいと思った年はじめです。
引用
鎌田浩毅. 成功術 時間の戦略 (2010). 文藝春秋 第6刷 P17.